PoCは成功した。なぜ全社展開できないのか

本記事のポイント

    1. PoCが確かめているのは、その技術が動くということだけ
    2. 全社展開に要るのは、データ基盤とガバナンスと人材・組織の3つ
    3. この3つのうちどれが足りないかで、人と予算の配分が決まる

PoCでは成果が出ました。AIモデルの精度も十分で、関係者の評価も好意的でした。それでも全社展開の話になると、プロジェクトが進まなくなります。こうした相談を繰り返し受けてきました。PoCの成功が確かめているのは、この技術が動くということだけです。全社展開で問われる条件は、それとは別にあります。壁は、技術ではなく基盤と組織の側にあります。

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1. PoCから全社展開に進めない3つの壁


データ基盤の壁

PoCでは、対象を絞ったうえで、整えたデータを用意して検証します。全社展開では、品質のそろっていない大量のデータを継続的に処理する基盤が要ります。PoCの段階で問題にならなかったデータの欠損や表記の違いが、対象を広げた段階で処理の失敗として現れます。データを取り込み、変換し、届けるまでの一連の処理も、対象が増えれば作り直すことになります。

Gartner が2024年第3四半期に実施した調査(データ管理の責任者248人が対象)では、63%の組織が、AIに適したデータ管理の体制がない、あるいはあるかどうか分からないと答えています。Gartner は同じ発表で、AIに適したデータに支えられていないAIプロジェクトの60%が2026年までに中止されるとの予測も示しました。

ガバナンスの壁

AIを全社に広げるには、明確なガバナンス体制が要ります。誰が決め、誰が守らせ、誰が見直すかまでを含みます。データをどこまで使ってよいか、AIの判断をどこまで業務に反映するか、リスクをどう扱うか。これらが決まっていないと、各部門がそれぞれの判断でAIを使い始め、利用の実態を誰も把握できなくなります。AIの利用について組織としての方針を文書にしている企業は、当社が見てきた範囲ではまだ少数です。規制がどう定まるかも見通せません。

情報システム部門がルールのないまま全社展開に進むことをためらうのは、合理的な判断です。この状態は、利用の範囲と責任の所在が決まるまで続きます。

運用体制の壁

本番運用では、モデルの維持管理、再学習、監視、障害対応が続きます。PoCの期間中は、対象が限られ、期間も区切られているため、これらの作業は本番運用ほどの量になりません。全社展開では、この作業を担う人と手順を決めておく必要があります。AIの実装には、モデルの利用料だけでなく、この運用を担う人の工数がかかります。PoCの見積もりには、この工数が入っていないことがあります。

PoCと全社展開で問われる条件の違い

 

💡STech I ワンポイントアドバイス

PoCの計画を作る段階で、全社展開に移すときの条件を先に書き出しておきます。対象を何倍に広げるのか、データの品質がどこまで下がることを見込むのか、誰が運用を担うのか。当社が支援した範囲では、この3点をPoCの成功基準に入れていた企業のほうが、PoCの終了後に全社展開の可否を決めるまでの期間が短くなりました。PoCの目的が技術の実現性だけの確認である場合は、条件を絞って問題ありません。

 

2. 人と組織の準備が追いつかない


技術側の準備が進んでいる企業でも、人と組織の準備が追いついていない状態を、当社は繰り返し見てきました。

2025年10月のGartner IT Symposium/Xpoの基調講演で、Gartnerの Daryl Plummer 氏は、AIそのものへの準備が道のりの半分まで進んでいる一方、人の側の準備は4分の1にとどまると述べました。同じ基調講演では、CIOの71%が自社の従業員はAIへの準備ができていないと報告していることも示されました。

当社が支援した範囲では、業務を作り替える作業に、AIを導入する作業と同じかそれ以上の工数がかかっています。準備ができていないのは、現場に意欲がないからではありません。業務のどこに組み込むかを決め、手順を作り替え、判断の責任を引き受ける役割が空いています。当社が支援した範囲では、この状態のままツールを配ると、使われないまま残りました。

 

💡STech I ワンポイントアドバイス

人の準備が進んでいるかどうかを見る手がかりのひとつが、業務手順書です。AIを使う前提で手順書が書き直されていれば、業務に組み込まれています。書き直されていなければ、利用は個人の工夫にとどまっている可能性があります。手順書のない業務もあるため、これだけで判定はできません。全社展開の前に、対象業務の手順書を1つ選んで確認してください。

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3. データ基盤とガバナンスの壁に対して整えるもの


1節で挙げた3つの壁のうち、データ基盤とガバナンスに対して整えるものは、次の表のとおりです。運用体制の壁は、人と組織の準備として2節で扱いました。

整えるもの 対応する壁 決めること
AI活用の原則(AI Ready原則) ガバナンスの壁 どのユースケースを優先するか、どこまでのリスクを許容するか、どのような倫理基準を置くか
AIに適したデータ(AI Readyデータ) データ基盤の壁 目指す姿に関係するデータを絞り、その範囲で品質を上げる
AIに向けたセキュリティ(AI Readyセキュリティ) ガバナンスの壁のうちリスク管理 AIモデルへの攻撃、学習データの流出、生成物の不正利用への備え

運用体制の壁を越える作業は、誰がモデルを維持し、誰が監視し、誰が障害に対応するかを決めることです。

AI Ready原則を決める

AI活用を全社で進めるには、技術の観点だけでなく、経済的、社会的、倫理的な観点を合わせた判断基準が要ります。どのユースケースを優先するか、どのレベルのリスクを許容するか、どのような倫理基準を設けるか。これらを組織の原則として文書にすると、各部門が自分で判断してAI活用を進めるときの指針になります。

AI Readyデータを整える

AI対応にするのは、自社が目指す姿に関係するデータだけで足ります。その範囲に絞って整備を進めます。対象を絞れば、限られた人員と期間でもデータ品質を上げられます。

全データを完璧にしてからAIを始めるのではなく、優先度の高いユースケースに必要なデータから段階的に整備します。範囲を絞るこの進め方が、全社展開への現実的な道筋になります。

AIに向けたセキュリティの体制を作る

AIモデルへの敵対的攻撃、学習データの流出、生成した内容の不正利用。これまでのセキュリティ対策では想定していなかったリスクに、誰がどう対応するかを決めます。

 

💡STech I ワンポイントアドバイス

3つの要素は、担当と予算が付けば並行して整えられます。どれかが決まるまで他を止める必要はありません。ただし決定には順序があり、原則で「どこまでのリスクを許容するか」を決めないと、セキュリティの要件が定まりません。原則の議論を先に始め、データの整備はその横で進めてください。

 

4. 自社固有の知識をAIに供給し続ける


全社展開の前に決めておくことが、もう1点あります。自社の知識をどうAIに供給し続けるかです。

汎用のAIが答えられるのは、学習に使われた情報の範囲です。学習の内容は提供元によって違い、公開情報だけとは限りません。自社の文書を参照させるには、検索して渡すしくみを別に用意します。企業の業務で必要になるのは、自社の製品仕様、価格の体系、顧客との取引履歴、業界の規制といった情報にもとづく判断です。これらを参照させるしくみがなければ、AIの回答は業務で使える水準になりません。

基盤となるAIモデルそのものでは、提供元が違っても差がつきにくくなっています。差が出るのは、企業が蓄積してきた固有の知識をAIが使える形で保ち続けられるかどうかです。

当社が見てきた範囲で、供給のしくみの検討から抜けやすいのは更新です。製品仕様も価格も取引条件も変わります。古い情報が残ったままだと、AIは新旧を区別せずに参照することがあります。どのタイミングで何を更新するかを、供給のしくみと一緒に決めておきます。

 

💡STech I ワンポイントアドバイス

社内文書をAIに参照させる前に、その文書の更新の責任者を確認してください。責任者が決まっていない文書は、参照の対象から外すか、参照する前に責任者を決めます。更新されない文書を参照させると、AIは古い内容にもとづいて回答します。参照元や更新日を回答に表示できるかどうかは製品と設定によるため、表示されない構成では、利用者は古い内容かどうかを判別できません。

 

5. よくある質問


Q. PoCと全社展開の間に、どのくらいの準備期間を見ておくべきですか。
期間は対象業務の数、扱うデータの量、関わる部門の数で変わるため、一律には示せません。見積もる手がかりになるのは、AIに供給するデータのうち、定義と更新の責任者が決まっているものの割合です。この割合が低いほど、決めごとに時間がかかります。

Q. 3つの壁は、どの順で越えるのですか。
順に越えるものではなく、並行して整えます。ただし決定には順序があります。ガバナンスで許容するリスクの範囲を決めないと、セキュリティの要件が定まりません。データの整備は、この決定を待たずに並行して進められます。

Q. PoCをやり直す必要はありますか。
技術の実現性が確認できているなら、同じ検証を最初からやり直す必要はありません。確認するのは、PoCで使ったデータと、全社展開で扱うデータの差です。この差が大きい場合は、対象を広げた条件でデータ処理を検証し直します。権限の範囲や運用の負荷が変わる場合は、その部分も確認します。

 

6. まとめ


PoCの成功が確かめているのは、この技術が動くということだけです。全社展開のためには、次の3つが三位一体で整備される必要があります。

  • データ基盤: AIに適したデータを継続的に供給できるしくみ
  • ガバナンス: 組織としてのAI活用のルールと判断基準
  • 人材と組織: 業務手順の作り替えと、判断の責任を引き受ける役割

次に決めるのは、この3つのうちどれが足りないかです。3つは並行して整えますが、足りない部分が分かれば、どこに人と予算を厚く配分するかを決められます。

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7. 出典


  • AIに適したデータ管理の体制がない、あるいは分からないと答えた組織が63%。
  • AIに適したデータに支えられていないAIプロジェクトの60%が2026年までに中止される見込み。
  • 出典は Gartner の発表「Lack of AI-Ready Data Puts AI Projects at Risk」(2025年2月26日)。
  • 掲載ページは gartner.com
  • 63%は、2024年第3四半期にデータ管理の責任者248人を対象に実施した調査によるもの。
  • AIそのものへの準備は道のりの半分、人の側の準備は4分の1。
  • CIOの71%が、自社の従業員はAIへの準備ができていないと報告。
  • 出典は Gartner IT Symposium/Xpo 2025 の基調講演(2025年10月20日、米国オーランド)での Gartner の Daryl Plummer 氏の発言。
  • 報道は ARN の記事(同イベントの取材記事)。

この記事を書いた人

伊丹 優花
インフラ、Data&AIのマーケティング担当